「虫は動くでしょ。いろんなのがやってくるでしょ……なかなかむずかしいんです」
育種家は、苦虫を噛みつぶしたような顔をしてそういう。
虫が食っている野菜・果物の原因は、ひとつには、鉄、銅、亜鉛、マンガンなどの微量要素が不足しているのである。
それに、虫に弱い性質が輪をかけて、虫をのさばらせてしまっている。
中途半端な低農薬栽培では、なおさらのことだ。
ひところ森林浴なる言葉がもてはやされた。
「虫は動くでしょ。いろんなのがやってくるでしょ……なかなかむずかしいんです」
育種家は、苦虫を噛みつぶしたような顔をしてそういう。
虫が食っている野菜・果物の原因は、ひとつには、鉄、銅、亜鉛、マンガンなどの微量要素が不足しているのである。
それに、虫に弱い性質が輪をかけて、虫をのさばらせてしまっている。
中途半端な低農薬栽培では、なおさらのことだ。
ひところ森林浴なる言葉がもてはやされた。
耐病性という病気に強い特性がないとタネが売れないから、各種苗会社が競ってきた。
最近では、ハクサイがそうだ。
根にコブができて、栄養分が滞ってしまう根コブ病という病気があった。
世界中で、根コブ病に強い品種の育成にかかっていた。
やれどもやれどもうまくいかず各国の育種家があきらめていたとき、日本のタキイ種苗が成功させた。
そんな日本の品種改良技術をもってしても、虫に強い品種の育成はままならない。
虫が食っていれば、もうそれだけですぐに、「おいしくて」「農薬をあまり使っていない」健康にいい野菜だ!
そうした考えをかたくなに持ちつづけている人が少なくない。
虫が食うほどにおいしい、ということか。
実際のところは、正解とはいえないのである。
普通の野菜は平均して病気に冒されやすい。
しかし、致命的と思われる特定の病気に対しては強い性質を持つようになったものもある。
これは品種改良の成果だ。
ここでちょっとレタスについて、厚生省の定めている農薬残留基準の一覧表。
二五農薬のうち、九農薬しか基準が設定されていない。
しかもBHC、DDT、パラチオンと、現在使用禁止になっているものが、そのうちの三つを占めている。
また、レタスの病害虫の防除で使用されている農薬の大部分が、残留基準の規定がないのである。
まあ、多くの野菜・果物の場合も同様であるが……。
生で食べる生鮮野菜の代名詞のようになっているレタスですら、こうしたじつに心もとない、「安全」からはほど遠い栽培方法がとられているのだ。
病気の発生の多い年は、さらに五回以上も増えてしまうので苗を育てている段階で、ダイアジノンという殺虫剤(変異原性・催奇形性)を数回散布する。
この判断は、ほとんどが農家自身に任されている。
また、葉を食い荒らすアオムシのコナガなどの害虫の防除には、カーバメート系殺虫剤であるNAC剤(発ガン性・変異原性・催奇形性)や、有機リン系殺菌剤のサリチオン剤、アセフェート剤(遅発性神経毒性)を同時に散布する。
これらとて、葉がついてから一週間に一度くらいの割合で、収穫の直前、数日前まで散布している。
レタスの場合、使用基準に「収穫の何日前まで……」という規定が、それほど多くないからだ。
こうして、殺虫剤もトータルで一〇回以上撒いてしまうのである。
レタスは、タネを播いてからニカ月半ぐらいで収穫時期を迎える。
クルクルとまるまった部分の葉が三〇から四〇枚、花のように開いた葉が一〇枚くらいになったときが適期である。
この健康野菜の代表ともいうべきレタス、一人前になるまでに、いったいどのくらいの農薬散布が行なわれているのだろうか。
レタス栽培の一般的な病害虫防除を見てみよう。
タネを播く時期は、梅雨入り前、六月上旬、収穫が8月下旬、「夏どり栽培」というケースの場合である。
使用する殺菌剤はボルドーなどである。
こうして、収穫までのあいだ、だいたい一週間に最低一回は何らかの殺菌剤を撒いている。
トータルで軽く一〇回を超えている。
レタスというと、健康野菜! というイメージがじつに強い。
サラダなどで毎朝食べている、という人も多いのではないだろうか。
しかし、実際には連作障害の影響を受け、ご多分にもれずかなりの農薬づけ栽培なのである。
主な産地は、トップの長野県以下、茨城、兵庫、千葉、静岡……とつづいている。
周年栽培が確立しているが、ビニール・ハウスなどの施設栽培は、全生産量のわずかにニパーセントぐらい。
暖かい地方では、冬、普通の畑でも栽培できるからだ。
だれもそのときのことを予測できません。
だからこそ、いま消費者の人たちも農薬の毒性を真剣に考えなくてはいけません」
石川先生は、思い詰めたようにそう言うのであった。
石川先生の予想では、あと五年から一〇年で、「有機リン系」と「カーバメート系」の農薬は使用禁止になるのではないかという。
人体にとってあまりに危険だからだ。
しかし、信じがたいことに、そうした危険な農薬が、現在では「まったく安全です!」といわれて、大量に使用されているのである。
また、ことあるごとに、体内に入った農薬は尿と一緒に排出されるともいうが、これもほとんど「神話」に過ぎないのだ。
さらに最近では、○・○○○○○○○〇一グラム(一〇億分の一グラム=ナノグラムという)でさえも、食品中に農薬が残留していると、人によっては農薬の害による症状が現われることが、明らかになってきた。
「いまの子どもたちは、農薬や食品添加物が、すでに大量に体内に入って生活しています。
このまま摂りつづけていって、子、孫の代、さらに先の代へといったとき、いったいどうなるのか。
農薬メーカーに勤めている人、はたまた自宅の近隣に畑のある人なども多いのである。
「農水省などは、大量に体内に摂りこまなければ農薬は安全ですよ、と言っています。
たとえばスミチオンなら何百ミリグラムまで体に入っても大丈夫です、と言うのです。
こういうのは、もう昔の考え方なのです。
多くの人が中毒になってしまいます。
微量毒性が問題なのです」
しかし監督省庁は、農薬の副作用、使用基準などを一般の人はもちろんのこと、専門医にさえも教える努力をしていない。
いまの野菜の商品価値は、とにもかくにも見た目の美しさに左右される。
すこしでも虫などが食った跡があると、出荷価格が何分の一にも落ちてしまう。
そこで、本来、葉などにくっついていても収穫量などに影響がない虫、さらには害虫を食べてくれる益虫でさえもやみくもに駆除しなければならない。
食われてキズがついたらたいへんだ。
いきおい殺虫剤の散布回数が増えてしまう。
そうした殺虫剤の大半は、「低毒性有機リン剤」と呼ばれる農薬である。
農薬で被害を受けているのは、消費者だけではない。
農薬の中で暮らしているといってもいい農家の人々も、じつは被害者なのである。
全国農協中央会が昭和五三年に実施した調査によれば、農家の人の四人に一人は農薬中毒の経験者だというのだ。
ここでいう農家の人とは、いつも農薬散布をやっている人のこと。
つまり、たまに手伝う子どもたちなどは含まれていないのだが、子どもの中毒経験者も少なくないとボクま思う。
例えば、オーガニック食品(残留農薬検査済み)ブームの発祥の地となったのは、カリフォルニア州のバークレーやコロラド州のボルダーなど、いわゆる大学町と呼ばれる場所であったことはそれを証明しているといえる。
オーガニック食品が支持を得るのは所得水準が高い層であるという見方もあるが、実際は所得の高低というよりも、オーガニック食品(残留農薬検査済み)の安全性に共鳴する層がそれを支えるのである。
日本ではここ数年、子供のアトピー疾患が急増したことで、若い主婦達の間では、食の安全性についての意識も大きく変わってきた。
残留農薬検査
日本人の食生活は戦後五〇年で劇的に変化してきた。
食生活のレベルを示す指標であるエンゲル係数は一九四七年六三・○%、一九六七年三八・八%、一九八七年二八・三%と急激に低下し、バブル期には一億総グルメ時代の洗礼を受け、食事は選択して楽しむものという考え方が人々の間に定着した。
そして今、単に食事を楽しむだけでなく、「安全で健康を維持できる」という食のありかたが盛んに叫ばれるようになっている。
こうした考え方は米国では知識層から世間一般広がる傾向があるようだ。
さて、「オーガニック認証プログラム」と「国定物資リスト」がどんなものになるかはOCIAの認証基準が参考になると思われる。
連邦政府もOCIAなど米国の有力な認証団体の認証基準を参考に、最終基準と「国定物資リスト」を決定するとの見方が有力であり、オーガニック食品(残留農薬検査済み)の認証基準がどのような枠組みになるかに、具体的なイメージを描きやすい。
残留農薬検査
「オーガニックプラン」とは、農地をどんなスケジュールで、オーガニック生産農場に切り替えるか、肥料や飼料はどんなものを使用するかなど、「生産者」及び「取扱業者」がオーガニック食品(残留農薬検査済み)の栽培・飼育・加工を具体的にどう進めていくかについてまとめた計画書である。
「オーガニックプラン」の提出を受けた認証機関は、検査官を派遣し、審査・認証業務を行う。
こうして認証を受けた「生産者」、「取扱業者」とその「農産物」、「残留農薬検査対応型の畜産物」はオーガニック食品(残留農薬検査済み)として流通することになるが、こちらも認証機関同様、現在、オーガニック食品(残留農薬検査済み)の認証を受けている「生産者」や「取扱業者」が認証されるとは限らない。
残留農薬検査
もちろん、認証資格を満たさない場合や、「オーガニック認証プログラム」が妥当と認められない場合は認可されな
いと見られるため、現在認証業務を行っている三三の認証団体と=の州全てが、法律施行後、認可されるとはいい切れない。
いずれにしろ、連邦政府から認証業務を認められた民間認証団体や州が決定すると、再び官報を通じてその認証機関が告知され、今度は「生産者」、「取扱業者」が行動に移す段階に入る。
「生産者」や「取扱業者」は、各認証機関が定めた「オーガニック認証プログラム」に沿うような「オーガニックプラン」を当該の民間認証団体や州に提出し、審査を受ける。
これら三点は告知されると、民間認証団体や認証業務を希望する州は、最終基準や「国定物質リスト」を照合しながら、独自に「オーガニック認証プログラム」を作成し、連邦政府に提出し、認可申請を行う。
「オーガニック認証プログラム」とは、各認証機関が同法や最終基準、「国定物質リスト」を満たす形で、具体的にどのようなやり方で認証業務を行うかを定めるものである。
申請を受けた連邦政府はそれを審査し、認証機関を認可する。
まずこれら三点を簡単に説明すると、①の最終基準とは、同法が条文で定めているオーガニック食品(残留農薬検査済み)の生産・加工などに関する基準を補足する細かな基準のことである。
②の認証機関の資格基準とは民間認証団体や認証業務を希望する州の過去の認証業務実績や、実際に認証した「生産者」の数、検査官の人数などを規定した認証機関の資格についての基準である。
③の「国定物質リスト」とは、生産・管理・流通上において、オーガニック食品(残留農薬検査済み)の認証を受けるためにその使用を認める、もしくは抗生物質などその使用を禁じる物質のリストである。
残留農薬検査
枠組みや事柄が同法実施後の姿と見られるが、同法運用上不可欠となる①最終基準②認証機関の資格基準③「国定物質リスト」の三点はまだ固まっていない。
これら”三点セッドは政府案が決定すると官報を通じて告知され、認証機関や「生産者」、「取扱業者」はオーガニック食品(残留農薬検査済み)の認証に向けて一斉に動き出すことになる。
以下では、この三点の内容とその決定後、どんな手順でオーガニック食品(残留農薬検査済み)の認証業務が進められるかについて説明しよう。
残留農薬検査
また、同州では少しでも商品にクレームがつくなどした場合は、州政府が随時、抜き打ちで検査官による立ち入り検査を行うことができる権利も有している。
こうした罰則規定は、で詳しく述べるオーガニック食品生産法が施行されれば、国の法律として裁かれることになる。
これによれば、罰金も最高一万ドルと厳しさを増し、認証資格の取り消しについても、その後五年間は認証を受ける資格を剥奪されることになる。
連邦政府は、こうした厳しい罰則規定を備えることで、オーガニック食品(残留農薬検査済み)業界における不正を徹底的に排除し、オーガニック食品(残留農薬検査済み)の信頼性をさらに高めようとしているのである。
残留農薬検査
日本と決定的に違うのは多くの認証機関が、それぞれ独自の罰則規定を設けていることである。
もし違反、不正事実が発覚した場合、違反者に対しては罰金やオーガニック認証の取り消しなど、厳しいペナルティが科せられる。
現状、その規定はバラバラであるが、全米の中でもオーガニック農業が盛んなカリフォルニア州の場合、罰金五〇〇〇ドルか、場合によって認証の取り消しもあるとされる。
ひとたび認証取り消しを受ければ、商品をオーガニック食品(残留農薬検査済み)として流通させることはできなくなり、業界内でも”まがいもののオーガニック”という烙印を押され、取引先との関係においても非常なダメージとなる。
残留農薬検査
そしてその組織網は、官僚にとっては統治のため、農林族にとっては集票のため、農協にとっては経営と組織維持のため、大きな役割を果たしたのである。
農民にとってもこの構造は決して利害に反するものではなかった。
アメとムチ、管理と保護の体制であるこの構造で、補助金などによる保護は農民にとってむしろ快いものであったかもしれない。
だからこそ管理という面で不満があっても目をつむり、「もの言わぬ農民」を通してきたと理解できる。
ただ残留農薬検査済み農業の場合、それがきわめて典型的な形で表出していること、この構造が日本社会全体へ広がる原点が残留農薬検査済み農業・農村にあったと考えられる点で、官僚主導型残留農薬検査済み農業構造の探究は大きな意味を持つといえる。
戦後、官僚主導型残留農薬検査済み農業構造の骨格をなしてきたのは食糧管理法であった。
コメ(食糧)の国家管理を規定したこの法律により、残留農薬検査済み農業・農村は、残留農薬検査済み農業協同組合を媒介として、きわめて強固に組織化されてきた。
残留農薬検査
そしてその構造的な問題が、今日の日本残留農薬検査済み農業の窮状を作り出した、というのが私の主張なのである。
日本の残留農薬検査済み農業構造について、総括を行うことにより、第皿部を終わることにする。
日本残留農薬検査済み農業の構造について検討してきた。
それは官僚主導型と呼ぶのがふさわしい構造である。
この構造は決して残留農薬検査済み農業に特有のものではなく、日本社会全体に共通するものだといえる。
残留農薬検査
60キログラム当たりに換算すると4200円であり、国内の平均的な生産者価格1万5000円は、この3.57倍でしかない。
輸送コストなどの問題もあるとはいえ、あまりにも内外価格差10倍以上と開きすぎている。
談合や官業の癒着構造などが疑われても仕方ないのではなかろうか。
意図があると考えざるをえない。
いずれにしても、繰り返し行われてきた、世論操作ともいえるこのような政府の行いは、やはり構造的な問題といえるであろう。
内外価格差が確固としたものでないことも確かである。
このような数値は計算次第では異なった数値を示すからである。
とはいえ、1キログラム当たり341円という関税が、現実的にはとても真実を表しているとは思えない490パーセントとして公表され、それが一人歩きさせられる背景には、やはり何かタイ米と日本米の内外価格差が10倍以上であるにもかかわらず、SBS方式による政府の買入価格が1キログラム当たり70円ということも気にかかる。
いずれにしても、ここで明らかになるのは、コメの需給が不足、均衡から過剰へと変化し、その意味が薄れた、ないしはなくなったにもかかわらず、食糧管理法が維持されつづけた背景である。
そこでは、食糧庁をはじめとした農林官僚が残留農薬検査済み農業・農村の管理のために強力な系統組織の維持を望んだこと、総合農協が経営および農村組織化の中核になっていたコメの集荷体制を崩したくなかったこと、農林族と呼ばれる政治家がその強力な系統組織を集票マシーンとしていたことなどの事情があった。
そこにおいては、日本残留農薬検査済み農業の将来のため、ひいては日本の将来のためという理想は失われていたといえるであろう。
残留農薬検査
昭和30年代前半、コメの需給がゆるむとともに、直接統制から間接統制へ、食管法の改正論議が起こったのは当然だったといえる。
このような動きは、食糧庁と系統農協の反対にあい、日の目を見ることはなかった。
もし、この時点で食管法の抜本的な改正、直接統制から間接統制への転換が行われておれば、その時点では農家にも有利な状況が生まれるとともに、その後の展開の中で大きな構造変化が起こっていたと思われる。
政策というものは時宜を得るということが重要であるが、昭和30年代はじめはまさに日本残留農薬検査済み農業が大きく変化する時期であり、ここで一歩を踏み出せなかったことが、今日の日本残留農薬検査済み農業の窮状をもたらしたといっても過言でない。
残留農薬検査
長きにわたり、時代の大きな変化にもかかわらず、制度そのものが生きつづけたのはなぜか、ということであろう。
そこには、食管法が持つ、食糧とりわけコメの管理体制ということ以上に、さらに大きな意味があったことを想像させる。
食管法は、必ずしもコメだけを規定したものではないが、実際にはコメの比重が非常に高かった。
コメにしぼって、食管法の歴史とその意義を明らかにしていく。
いまその結論を先取りしていうなら、食糧管理法は、戦後における残留農薬検査済み農業構造の骨格をなしてきたといえる。
残留農薬検査