しかし1953(昭和28)年に、輸入税の免税制度が廃止されると、保税工場制度は再び意味を持つようになった。
指定を受けた工場は、1956(昭和31)年には77工場、1963(昭和38)年には165工場と急速に増加した。
ところで、1901(明治34)年に制定された関税定率法のなかに、承認工場制度というものがあった。
関税長の承認を受けた承認工場では、国内産業の育成や、国民生活の安定などを目的として、特定品を製造するために輸入される特定原料品の関税が減免される、というのがこの制度である。
しかし1953(昭和28)年に、輸入税の免税制度が廃止されると、保税工場制度は再び意味を持つようになった。
指定を受けた工場は、1956(昭和31)年には77工場、1963(昭和38)年には165工場と急速に増加した。
ところで、1901(明治34)年に制定された関税定率法のなかに、承認工場制度というものがあった。
関税長の承認を受けた承認工場では、国内産業の育成や、国民生活の安定などを目的として、特定品を製造するために輸入される特定原料品の関税が減免される、というのがこの制度である。
ここでは、飼料として用いられる限り、関税をかける必要はない、と考えられていたとしてよい。
保税工場法は、その後、関税法に統合されたが、制度そのものに変化はなかった。
ただし、戦時体制下においては、トウモロコシ、コウリャンの国際流通量は減少してしまい、また統制経済の影響で、この制度は有名無実なものとなった。
また戦後まもない時期においては、物資不足を解消するため、輸入税は免除されており、この制度は意味をなさなかった。
急性毒性、亜急性毒性、慢性毒性、生殖に及ぼす影響、変異原性、ガン原性、腸管毒性、免疫毒性、神経毒性などに関する試験が基本的に必要とされていない点も大きな問題です。
表に示した基準に照らして安全性が確認できない場合に、はじめてこれらの試験結果が求められのです。
さらに表の審査内容についても十分ではありません。
遺伝子産物が既知のアレルゲンであるか否か、既知のアレルゲンと相同性があるか否かについては調べられています。
しかしまったく新規なアレルゲンの場合にはこの方法では調べられません。
「安全性審査基準」は74項目にも及ぶものですが、基本的に「実質的同等性」の原則のもとにつくられている点が問題です。
栄養成分や有害成分について組換え作物が「宿主植物と有意差がないこと」としていますが、同等性を議論するのであればトリプトファン事件の教訓に学んで100ppmレベルまで調べるべきだという見解もあります。
また環境ホルモンのようにごく微量でも生物に影響を与える物質があることがわかってきているのです。
組換え作物においても新規の予想外の成分がつくられていないかどうかという点も含めて、より精密な分析がなされるべきです。
遺伝子組換え作物の食品としての安全性は厚生労働省が審査しています。
安全性審査を希望する開発者が申請書を作成し厚生労働省に申請すると、厚生労働大臣は薬事・食品衛生審議会に審査を諮問し、そこから食品衛生分科会を経て食品衛生バイオテクノロジー部会で具体的な審議が行われます。
食品衛生バイオテクノロジー部会は各分野の専門家10名で構成されており、「組換えDNA技術応用食品及び添加物の安全性審査基準」(以後、安全性審査基準と略します)に基づいて提出された申請書を審議します。
申請書に不備がなければ安全性審査を終了したとして公示されます。
この一・連の流れで本当に安全性が審査できるのでしょうか。
この「実質的同等性」については、遺伝子組換え作物を食する立場から、安全性の概念に疑義が出されています。
EUや世界の消費団体、市民団体などがコーデックス委員会に対して見直しを迫っています。
食品分野における遺伝子組換え技術の利用は、飢餓を避けるための食糧増産や環境問題の解決のためとする大義名分からは、ますます遠いものとなりました。
企業の本音とする「商品」としての遺伝子組換え食品が開発される傾向が強くなってきました。
放射能の残留濃度は、チェルノブイリ原発事故の後、暫定的に食品1kg当たり370ベクレル(Bq)と決められました。
私たちが1年間に被曝しても健康に影響がないとされていた放射線の限度量(事故当時)である5ミリシーベルト(mSv)を基準に設定されています。
5mSvのうち、3分の2は環境中の放射線被曝の限度に振り分けられ、3分の1(1.67mSv)が食事から摂取される放射能濃度の限度とされました。
食品の放射能濃度は、食品を汚染している放射性同位元素から放出される放射線を測定して決めています。
370Bqが、食事から摂取してもよい放射能の限度である1.67mSvに相当します。
2001年にイタリアから輸入されたヤマドリダケから、放射能濃度の暫定基準を超える放射能が検出され、積み戻される事件が起こっています。
チェルノブイリ原発事故の後15年もたっても、食品から放射能が検出されるところが、この汚染の恐いところです。
土壌は、今も汚染されています。
放射能が作物に取り込まれたり、汚染農作物を餌にすると家畜の体内に放射能が移行し、濃縮されます。
警戒をゆるめることができないのはこんな点にあります。
こうした情勢にもかかわらず、84年、旧厚生省は、ダイオキシンの毒性リスクを評価する基準(評価指針、現在の耐容一日摂取量を示すTDIに当たる)を、成人で体重1kg当たり1日100pgまでの摂取なら、健康に影響はないとする「安全宣言」をはやばやと出したのです。
この評価指針100pgは、当時のヨーロッパの基準と比べると10~20倍も甘いものでした。
しかも、100pgは96年にTDIが10pgとされるまで据え置かれ、日本のダイオキシン対策が遅れた原因となったのです。
日本は欧米と比べダイオキシン基準が甘いのはなぜですか。
1983年、立川涼愛媛大学教授(当時)が愛媛県松山市の清掃工場のa
排煙や川魚、シジミなどからダイオキシンを検出し、日本でもダイオキシン問題が大きな社会問題となりました。
すでに当時のアメリカでは、ベトナム戦争当時に撒かれた枯葉剤によるベトナムでの被害や、ベトナム帰還兵の健康障害、動物実験などから、ダイオキシンの毒性はほぼ明らかにされていました。
さらに加えて、土壌がダイオキシンで汚染された居住地から、住民が移転するなどの事件が一段落したところでした。
77年には、オランダのゴミ焼却場からダイオキシンが検出され、スウェーデンは、早くも86年にゴミ焼却場の排出規制を始めています。