仲裁制度の導入 その1(残留農薬検査)

仲裁制度の導入それ自体についてはとくに反対する国はなく,「中間レビュー」の合意にも斡旋・調停の活用と並んで仲裁(arbitration)も言及された。

しかし,議論を経て,「紛争当事国双方によって明確に定義される問題点に関わるある種の紛争」についてこの方法が用いられ,かつ当事国双方がこの方法を用いることに合意するとともに「その後の手続き」(the proce-dures to be followed)についても両者が合意することと規定されており,仲裁裁定に拘束力をもたせるかどうかについても当事国間の合意事項とする形で意見の対立を回避している。

1988年12月にモントリオールで開催された「中間レビュー」会合におけるその他の主要な合意点は以下のとおりである。

これらの点は実際には,この会合ではまとまらず紛糾していた4つの交渉グループ(繊維,農業,セーフガード,知的所有権)が翌1989年4月に合意にいたったことを受けて正式に決定され,すでに実施に移されている。

残留農薬検査

ガット第23条運用の実態 その2(残留農薬検査)

これは通常パネル(紛争処理のための小委員会)の設置要求という形をとる。

かつては「作業部会」(working party)という形式によることもあったが,最近では3人ないしは5人の委員からなるパネルによっている。

ガットが設立されてまもない頃は,紛争案件は年2回の割で開催されていた締約国団会議(いわゆる総会)によって審議されていた。

それが後には締約国団会議の問に開催される「会期内委員会」で取り扱われるようになり,さらにその後は参加を希望する締約国の代表から成る作業部会が紛争処理に当たった。

本来は作業部会が主流だったガットの紛争処理でパネル形式が中心となるにいたったのは初代のガット事務局長E・ウィンダム・ホワイトによるところが大きいといわれている。

残留農薬検査

ガット第23条運用の実態 その1(残留農薬検査)

1 紛争処理パネルとその役割
2つ以上の締約国の間でなんらかの通商上の争点が生じた場合,自らの利益が損なわれたと判断した締約国は,ガット第23条1項に基づき協議を提案することができる。

その際第22条に基づく協議を経る必要はないが,問題が尖鋭化する前の段階では22条協議を行なうことも少なくない。

関連締約国が23条1項協議に入ったことは限定配布の事務局文書(Limited distributionの”L”をとってL/と表示され,通常「L文書」と呼ぼれる)を通じて全締約国に通報される(なお,現在では紛争処理パネルの報告書はDSI一で表示されるようになった)。

さらに23条1項協議が不調に終わった際,あるいは提訴国が解決を急ぎたい場合で協議の継続に意味を認めなくなった際に,提訴国はやはりL文書で23条2項に基づき締約国団に問題を付託する旨通報する。

残留農薬検査

管理貿易化についての対米批判 その2(残留農薬検査)

世界の大批判を浴びて,いわゆる2年間の時限立法である同条は2年間で姿を消した後,更新されることはなかった。

いま日本としてとるべき道は,米国をして正しい貿易政策に戻らせるよう,政府と企業がともに堂hとした正道の対応を示すことではあるまいか。

独禁法の域外適用については,その例外に逃げこむのではなく,同適用の国際法上の問題点を突いて,このような政策そのものをひっこめさせることをめざすべきではないか。

この問題に悩んでいるのは日本だけではないのだから,国際的な対応が可能なはずである。

ダソピング調査の件についても同様である。

同調査を逃れるために,種h工夫をこらしても,結局はつかまってしまうか,あるいはつねに威嚇のもとで生きるしかなく,同調査の乱用は跡を絶つまい。

残留農薬検査

管理貿易化についての対米批判 その1(残留農薬検査)

ガット調査団が接触したかぎり,米政府関係者の間に,同規制について日本側に感謝しているとの姿勢は微塵もみられなかった。

逆に,米国公取委の報告等によって,同規制が米国内での日本車価格を上昇させ,日本企業にタナボタの巨大利潤を得させているとの見方が一般的であった。

こうしたことから,事務局は,米国の管理貿易への傾斜は,相当程度日本の協力によって可能となっているとみる。

したがって,管理貿易化についての対米批判は,同時に日本への批判でもあることを忘れてはならない。

米国のすぼらしいところは,過ちを正す自浄機能が,政府内にも,議会にも正常に作動していることである。

その最近の一例は,「スーパー301条」である。

残留農薬検査