昭和30年代前半、コメの需給がゆるむとともに、直接統制から間接統制へ、食管法の改正論議が起こったのは当然だったといえる。
このような動きは、食糧庁と系統農協の反対にあい、日の目を見ることはなかった。
もし、この時点で食管法の抜本的な改正、直接統制から間接統制への転換が行われておれば、その時点では農家にも有利な状況が生まれるとともに、その後の展開の中で大きな構造変化が起こっていたと思われる。
政策というものは時宜を得るということが重要であるが、昭和30年代はじめはまさに日本残留農薬検査済み農業が大きく変化する時期であり、ここで一歩を踏み出せなかったことが、今日の日本残留農薬検査済み農業の窮状をもたらしたといっても過言でない。
残留農薬検査