このおかげで、有害な金属イオン、たとえばクロムとかカドミウムイオンが土に入ってきても、捕まえられます。
これがイオン交換作用です。
ただし、捕まえるだけという点では問題があります。
そして、これらの働きには限界があるのに、地上に住む人類は、土に対して、限界を超える無理を押しつけ始めました。
このおかげで、有害な金属イオン、たとえばクロムとかカドミウムイオンが土に入ってきても、捕まえられます。
これがイオン交換作用です。
ただし、捕まえるだけという点では問題があります。
そして、これらの働きには限界があるのに、地上に住む人類は、土に対して、限界を超える無理を押しつけ始めました。
滅菌濾過されているからです。
この作用が濾別作用です。
地上の植物は、命に必要な、カルシウム、カリウムなどのミネラルを土から吸います。
これらのミネラルが、水に流されず、土の表面にくっついており、必要に応じて植物の根にわたしてやれるのは、土にこういった能力が備わっているからです。
つまり食べられ、排泄され、排泄物がまた食べられ、土から生まれた有機物は再び土に還っていくのです。
これが土による有機物の分解浄化作用です。
毎日飲んでいるきれいに澄んだ水道水に、塵やバクテリアはほとんど入っていません。
これは大きく分けて三つあります。
その一つは、地上にたまる生物の遺体や排泄物の分解処理作用、二つめは、濾別作用、そして三つめは、イオン交換作用です。
晩秋の山路を飾った、黄、茶、赤の落葉の絨毯も、翌年の初夏のハイキングのころまでには、土に住む生き物たちによってきれいに掃除されます。
では、本論に入る。
ブナは秋が深まると、たくさんの葉とともに、ブナの実を落としてくれる。
葉は、ボクの上や中に住むカビ、トビムシ、ミミズなどの餌になり、実はリスなどの餌になる。
そして力を合わせて造った土は、ふんわりと肥え、水を貯え、お山の流亡を守ってきた。
そのことを忘れないで欲しい。
実際、この子実は縄文時代きわめて重要な主食だった。
このことは、縄文人が住んでいた日本の東北部にブナの自然林が広く分布していることからもわかる。
つまり、原始採集民族は、このブナ林の生態系の中で生きてきたのだ。
それにはそれなりのわけがある。
それは、日本の山々を守って来たブナの自然林が、人間のなかでも最もエコノミックな新亜種、ホモサピエンス・ハポネスによってつぎつぎと破壊されていることだ。
さて、このブナ、漢字では掬とか撫と書く。
二つとも、日本人が作った国字で、前者は秋の山にバラバラ落ちているブナの実を手で掬っている感じが読み取れる会意文字である。
「この機会に」と、土クンが言いました。
「言っておきたいことがある。
それは、熱帯雨林やマングローブ林にくらべると、面積的には小さいが、同じぐらい大きい問題が、今、日本でも起こっている。
かなりの生協が共同購入の一環として有機農産物を扱うようになっており、またスーパーマーケットやデパート、外食産業でも扱う所が増えています。
さらに専門の流通事業体が会員への有機農産物の宅配を始め、首都圏ではすでに飽和に近い状態だといわれています。
以前、有機農産物の表示が混乱して問題化したため、93年に農林水産省は有機農産物のガイドラインを出しました。
しかし消費者はもちろん業者でも、実際にそれが有機農産物かどうか確かめる手段は持たないのが普通です。
それだけに、農家との信頼関係が大事になりますし、業者にも良心的な対応が要求されます。
農家が安心して有機農業に励み、割高になる有機農産物を売るためには、消費者の理解が絶対に必要です。
消費者もまた、安全で安心できる有機農産物を手に入れるためには、少々の割高は受け入れ、有機農業を実践している農家の苦労を思いやることが大事です。
有機農産物の流通は、生産者と消費者のいわゆる「産消提携」による産直(産地直結)がどうしても多くなります。
小規模産直には輸送コストが高くなるなど問題もありますが、ともかく農家と消費者の相互信頼を前提にしないと有機農産物の取引はうまくいきません。
しかし最近、これまで一部の農家とそれに見合う少数の消費者との間で細々と成り立っていた有機農産物の流通にも、新たな状況が出てきています。
農民と消費者は、お互いの健康を守り食べものの安全を確保し、よい環境を守るという点で、共通の基盤があるのですから、相互理解をふくめて問題解決に近づきたいものです。
農家を責めるだけでは相互不信を招くだけで、農家と消費者の「強いられた対立」から抜け出ることが必要です。
農薬は、農業生産という小さな場面では、現状では必要な場合があります。
しかし社会全体にとっては危険でマイナスが大きいのです。
その意味で窒素酸化物規制と同じような考え方が農薬にも必要ではないでしょうか。
国民合意の上で、農薬の総量抑制という「社会目標」を国全体で掲げることを提案したいと思います。
化学合成農薬は環境にも悪影響を与えています。
ベトナムでアメリカ軍が使用した枯れ葉剤による催奇形性毒性はよく知られていますが、ゴルフ場で使う農薬が飲み水を汚染したり、公園の農薬散布が住民の健康を損ねたり、家庭農薬で気分が悪くなったりする例は珍しくありません。
農薬多用の仕組み、農薬依存の社会構造そのものが、人の健康を損ね、自然生態系を乱し、環境汚染を招いています。
こうして農薬をめぐるさまざまな問題は、社会の仕組み、農業政策、農業技術、環境政策、食の安全などと大きくかかわっています。
また、青果物の流通過程では、卸売会社や大型量販店など流通資本の戦略によって規格の厳守と見栄えのよい野菜や果実が要求され、そのため曲がったキュウリや不ぞろいのトマト、虫食いのキャベツ、病気のついたハクサイなどは大市場では買いたたかれるようになりました。
味や新鮮さ以外に、外形的な要素が青果物の価格を左右します。
農家は必要以上に農薬を使って、外形的に欠点のない野菜・果物にしようと、余計な経費と労力を使わざるを得ません。
つまり農薬多用の仕組みに、流通資本の戦略が大きくかかわっているのです。
消費者もまたこうした戦略に巻き込まれ、外形的に欠点のない野菜・果物があたり前だと思うようになってしまい、農家の苦労を見抜けなくなっています。
見栄えだけに目を奪われないで、安全で新鮮で体によいという「本質的な中身」で農産物をみることが必要です。
戦前は農薬の種類も少なく、対症療法のようなものがほとんどでした。
近年の化学合成農薬の多くは戦後になって開発されたもので、とくに1960年代以降、農薬生産量は飛躍的に伸びています。
方、60年に制定された農業基本法の農業近代化路線に沿って、特定地域で集中的に同一作物をつくる規模拡大が進められた結果、病虫害の発生もまた集中することになります。
こうした病害虫の駆除には農薬の多投が避けられず、農薬に頼った経営の仕組み、農薬依存の生産技術体系が固定するようになります。
農薬を多用するにつれて、農薬に対する細菌などの耐性、害虫の抵抗性が強まり、病虫害多発と新農薬開発とのイタチごっこが繰り返されるようになったのです。
実験動物で得られた無毒性量を、ヒトの場合に当てはめることをヒトへの外挿(がいそう)といいますが、数学的なモデルを用いる方法や、「安全係数」を乗じる方法などがあります。
国連や日本の場合は無毒性量に安全係数を乗じて、ヒトに対するADIを決定しています。
安全係数は、ヒトと実験動物との差が10倍以下で、個体差が10倍を越えないとして、通常100分の1とします。
ヒトのデータがあるような場合、たとえばマラチオンでは10分の1、毒性の強いものや発ガン性のある農薬では1000分の1、ものによっては3000分の1とするものもあります。
ADI(1日摂取許容量)を決めるには、実験動物に農薬を毎日一定量与えて、急性・慢性毒性、発ガン性や繁殖試験、催奇形性、変異原性試験、動植物体内での代謝試験をおこない、それぞれデータをとります。
各試験ごとに有害性を確認した後に、投与した農薬が作用を及ぼさない量、無毒性量を求めます。
より高い無毒性量を示した動物の数値が無毒性量とされます。
実験動物での結果をヒトに当てはめるわけですから、農薬の代謝などがヒトと似ている動物を用いることが望ましいわけですが、現実には使用できる動物は限られており、ラット、
マウス、イヌ、ウサギがよく使われます。
問題は日本が独自にこれらの無毒性量のデータを実験していないことです。
多くが外国とくに国連やアメリカからの借り物ですから、国際的な会議での発言力も、説得力もありません。
残留農薬基準値を決めるためには、その農薬を生涯にわたり摂取し続けても健康に害を与えない量(ADI、1日摂取許容量)がわかっていなければなりませんし、さらに必要なデータは、その農薬が正しく使用された場合、農産物や土壌がどの程度汚染されるのか、また、残留がどのくらいの期間続くのかなどの基礎的なデータです。
このことは、消費者の意見を反映する委員がわずかに1人という食品衛生調査会の構成をみても明らかです。
昨年の食品衛生法改定にともなって、「消費者の意見を反映できる学識経験者」を新たに1人加えましたが、それでも、委員40人中2人です。
食品の安全性確保のために、消費者の意見が十分反映される調査会構成にしなければなりません。
さらに、審議内容が非公開であった調査会のあり方を見直し、「要旨の公開」をおこなうことになりましたが、これとても重要な資料を隠すことを許さない厳しい監視の目が必要であり、全面公開を要求して、ねばり強い運動が求められます。
続いて「事前に……公示し、利害関係者に対しそれについての意見の申し出の期間を与えるとともに、提出された意見については十分考慮を払う」という国際協定に基づいて、WTO(世界貿易機関)加盟国に通報します。
このWTO加盟国への通報義務は、79年のガット東京ラウンドで合意された「貿易の技術的障害に関する協定」に基づくもので(当時はガット通報といわれた)、WTO協定にも引き継がれています。
FSG会議での説明、WTO加盟国への通報をおこない、特段の疑義が申し立てられない限り、食品衛生調査会は諮問された残留農薬基準を、設定して差し支えないものとして厚生大臣に答申します。
これを受けて厚生大臣が告示します。
諮問してから告示までの間は、国民には非公開です。
調査会の審議はまさに”密室審議”です。
このような審議の内容や手続きは、食品添加物など他の基準を決めるときも基本的には同じです。
これが食品衛生調査会の審議の実態であり、基準の決め方です。
このような基準の決め方、内容は国民主権と国民の健康をまったくないがしろにしているものといわなければなりません。
これでは委員が問題だと思っても十分な論議もできません」
(伊藤康江委員)。
また、合同部会での34農薬もの残留基準の審議は、「厚生省の諮問案が説明される会議と、答申の内容を決定される会議」のわずか2回で、「2回目の会議は1時間20分で終わりました」(伊藤委員)、というような、ただ決められた手続きを進めるという驚くほど形式的な審議内容です。
それでも残留農薬基準の「答申案」ができあがります。
基準作りは「動物実験からじっくりやるのが理想だが、時間もお金もかかる。
現実的にみて不可能」(厚生省)なので、独自の基準作りはおこなわず、非常にゆるい国際基準やアメリカなどの基準値をそのまま日本の残留基準としたものになっています。
厚生省はこの合同部会でまとめた答申案を「透明性の確保」の名目で、まず「FSG会議」を開催して説明し、意見を聞きます。
FSG(フードセイフティーグループ)は、聞きなれない会議ですが、在京の大使館および欧州連合(EU)代表部に対して、残留農薬基準案の内容を説明する会議で、85年に中曽根内閣が決定した「基準、認証、輸入プロセスに関わるアクションプログラム」に基づいて開催されるものです。
わが国の食品安全基準を決めるのに、外国にお伺いをたてるといういわば「治外法権的」な手続きといってよいものでしょう。
新たに残留農薬基準を設定するには、厚生大臣が、厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会に諮問し、審議の結果の答申を受けて決定することになっています。
食品衛生調査会の委員は、法律で「40人以内」となっており、総会と常任委員会の他に、残留農薬部会、食品添加物部会、毒性部会など8つの専門の部会があり、諮問された内容に応じてそれぞれの部会で審議をします。
その内容費92年に設定された、農薬の残留農薬基準設定の手順についてみてみましょう。
厚生大臣から食品衛生調査会に諮問されると、まず、医学・薬学の専門家による「分科会」で、提出されている膨大な資料を検討し、基準値の原案を作り、残留農薬・毒性合同部会に提出します。
しかし、「各委員には基準値を検討する分科会の議事録や経過も公開されず、結論だけが部会にでてくるというものです。
厚生省は、食品の安全基準を次つぎと大幅に改悪、緩和してきました。
とくに、92年以来、農産物に残留する農薬の残留基準を次つぎと設定し、それまでは26農薬しかなかった残留基準を今日では138農薬に設定しています。
さらに、2000年までには200程度の農薬の残留基準を設定しようとしています。
このような残留農薬基準の設定をおこなう仕組みや手続きなどは、どのようになっているのでしょうか。
アメリカの環境保護庁(EPA)は発ガン性を示す農薬についてのリストを公表しています。
しかし、日本では、デラニー条項のような原則どころか、発ガン性を示す農薬のリスト公表さえありません。
また、特殊毒性の安全性基準や規制が明確ではありません。
日本での登録農薬約400について、京都工芸繊維大学の泉邦彦氏が特殊毒性を調査していますが、のように特殊毒性を示す農薬が数多く使われています。
政府は特殊毒性についての情報を国民に公開すること、安全基準および規制基準を明確にすることが求められています。
とりわけ「疑わしきは使わず」と農薬の規制をおこなう必要があります。
特殊毒性と一般毒性の大きな違いの1つは、毒物の投下量(摂取量)と毒性の発現・発症率の関係にいき(閾)値(しきい値ともいう)があるかないかです。
般毒性の場合、一定の量以下であれば毒性の発現(発症)がありません。
このことをいき(閾)値があるといいます。
これに対し特殊毒性の場合、どんなに微量であっても、投与量がゼロにならなければ毒性の発現があります。
これをいき値がないといいます。
こうしたことからアメリカでは58年、食品・医薬品・化粧品法に「ヒトまたは動物に対して発ガン性を示す物質は食品添加物としての使用を無条件に禁止する」という原則が取り入れられ、提案した国会議員の名前をとってデラニー条項と呼ばれてきました。
しかし96年8月、発ガンリスクゼロをめざしたデラニー条項が、無力にされる法案(食品品質保護法)が採択されました。
農薬の毒性については、日本では必ずしも安全性の基準や規制が明確でない、発ガン性などの特殊毒性がまず問題になります。
実際、わが国ではガン死亡者が増加し続けていますが、食品中の残留農薬もガンの重要な原因の1つと考えられています。
農薬の毒性には、一般毒性と特殊毒性がありますが、発ガン性をふくめ特殊毒性は大変恐ろしい毒性です。
食の安全に対する国民の不安のなかで、残留農薬問題は大きな問題の1つです。
とくに、輸入食品の多くが殺虫剤、殺菌剤などポストハーベスト農薬で処理されていることがわかって以来、輸入食品への警戒心が高まっています。
また、ガット・ウルグアイ・ラウンドやWTO協定によって日本の残留基準が国際基準への「平準化」の名で次つぎにゆるめられていることも大問題です。
発ガン性など特殊毒性の問題をふくめ、残留農薬の安全をあらためて考えてみましょう。
この事件を通じて、政府が安全とする農薬の基準も発ガン性については、必ずしも安全といえないことがわかります。
発ガン性など遺伝子を傷つける特殊毒性を持つ農薬は、それがたとえどんなに微量であっても影響があるという特徴があります。
また、その毒性試験は動物実験ですが、実験動物と人間では毒物に対する反応が違いますから、動物実験で大丈夫といっても人間には毒である場合もあります。
したがって、農薬の毒性というまだまだ未知であり未解明の毒性に対しては、「疑わしい場合は使わない」という原則をつらぬく必要があるのではないでしょうか。
アメリカでは、発ガン性として使用が禁止されている農薬も、日本では使用されているものもあります。
ところがわが国では、メーカーがおこなう毒性試験データさえ公開されていません。
本当に安全かどうか国民が知る権利は保障されていない状態です。
農薬の安全性の問題でも、情報公開制度の確立と食品安全行政に国民参加を実現する課題が大きくクローズアップされています。
疫学調査というのは、多発する病気の原因、病原地を患者集団やその環境の特徴などから解明していく調査です。
山本教授が、胆のうガン多発の原因としてCNPを疑い、しぼり込んでいく過程は興味深いものです。
おなじ新潟県でも、胆のうガンが少ない地域は、水田から流れ込む河川の水を飲料水とせず、ダムから引いた農薬のない水を飲んでいることがわかりました。
一方、ガン患者が多い地域では水道水からCNPが検出されること、CNPが動物実験で胆のうに濃縮されるデータがあることなど、まるで推理小説のような追究がおこなわれました。