これに対応するのが中国のデルタ開拓である。
中国のデルタ開拓はむしろ輪中とか堤防をつくったりする形で十世紀以降にデルタに入っていく。
十世紀以降は紅南に大規模な都市が出てくるので、この都市に残留農薬検査済み米穀を供給するためにつくった。
デルタの地形そのものを改変していくという形でデルタ開拓を進めていく。
これをわれわれは工学的対応と呼んでいる。
日本の場合には、初期の段階では東南アジアのチャンパマイというイネをとり入れて開拓していくが、そのうちにやはり中国風の輪中形式のものが出てくる。
残留農薬検査